2012年11月12日

A級戦犯になったのは平民、廣田弘毅首相。

東京が威張ると日本は大凶
著者:犬丸勝子・イヌマルミツカ/国家問題研究所

解説:
122〜123 廣田弘毅首相の解説

太平洋戦争のあとの東京裁判の正式名称は「極東国
際軍事裁判
軍事裁判だから、本来なら軍人だけが裁
かれるはずではないの
か?ところが文官だった「廣田
弘毅首相」が裁かれた。A
級戦犯
で死刑。これはなぜ
なのか?確かにこの裁判、前々回も書いた
が、この裁
判はおかしな裁判で、裁くのは
誰でもよかった!」
的なところがある。


東京が威張ると日本は大凶・廣田弘毅首相 47 1_004.jpg
廣田首相は、「首相だったのだから仕方がないじゃない。」と考える人も
いるかもしれない。ところが、「大日本帝国の憲法」は今の「日本国憲
法」とは違う。
端的にいえば、今の首相は日本国民の代表で、政治の
権力がすべて集まる。ところが、「大日本帝国憲法」では首相は国政を
行う天皇の補佐役でしかなかった。



政治の権限はないのに、実際は、「天皇の国政」に対して大臣が責任を負わなければならないのが「大日本帝国憲法」だった。「大日本帝国憲法」下の大臣は非常に割の合わない役職だったようだ。廣田弘毅首相の前に「近衛文麿」が指名されたが、病気を理由に辞退したので、廣田弘毅首相に白羽の矢が立った。




それでも、やはり引き受けたくなかったようで何度も断っている。しかし、さらに、「近衛文麿」は自分がなりたくなかったのか、廣田首相と外
務省で同期だった「吉田茂」に説得させた。その経緯を図に記した。(当
時の首相は国会が選ぶのではなかった。下の図を参考に説明する)
注:近衛文麿は、この時は辞退しているが、結局廣田弘毅首相のあと
に引き受けている。


1940年(太平洋戦争の前)までは慣例として元老院が推薦
していた。ここでは西園寺公望。1940年以後(西園寺亡き後)どのような経緯で大臣が選ばれたのかは分からない。いわゆる首相といっても曖昧な決め方で、見えないところで決まっていたようだ。

東京 47 2_002.jpg
 
首相は天皇の補佐役でしかなかった。また、これほど辞退したのに結
局引き受けさせられた廣田弘毅首相のことを天皇は西園寺に「廣田は
名門ではない。大丈夫か?」
といったらしい。後にその言葉を聞いた廣
田首相。愕然としていたようだ。廣田首相はそのことに対して「私は50
年早く生まれすぎたようだ」
という言葉を残している。


確かに今でも、徳川家康だの、織田信長だの、豊臣秀吉だの・・・・・
マスコミはこぞって書き立てる。本人(子孫)たちも世界に対してそのこ
とを自分たちでアピールしているようだ。NHKもそうだ。国民から強制
的に受信料を巻き上げて、歴史上の人物を取り上げてはヒーロ扱い
て放送しているではないか?



それが正しい歴史ならまだ許せるが、作家がいて、脚本家がいて、脚本があって、人が見るように面白おかしく脚色して、ヒーローとして、嘘を作っているではないか

過去が分かっているのは彼らだけではない。彼らの子孫が民放などで個人的にお金出してヒーローとして作るのならいいが、公共放送でやるべきことか!!!彼らにひどい目にあった人の子孫もいる。彼らがした、焼き討ち、強奪、人殺し・・・・・・・苗字も家系図も戦勝品として盗られた人たちもいる。その人たちから見るとヒーローでも名門でもなんでもない。


さらに言いたい。


信長は仏教徒や農民達を寺ごと焼き討ちしたではないか?どれくらいの人間を殺したのか分からない。それを手伝った秀吉、その二人に対してしかも平和の使者のごとく登場するのが徳川家康。しかし、家康は秀吉を手伝った。時期が来るのを待って将軍になった。


徳川を政治家として見ると、「経済政策も貧困」で農民たちには絹も着るな、お茶も飲むなと倹約ばかり押し付ける。さらにはキリシタン弾圧
あちこちに見張りをおいて、正しいことを言う人を村八分や処刑をしていった、ペリーが浦賀に来たら何も言えずに不平等条約を結んでしまう。それがもとで明治維新



その後徳川は消えたのか?
いや、昭和初期には徳川だらけ昭和天皇の周りは徳川だらけ。もしかして、名門とは徳川関係者を指すのだろうか?話はそれたが、今のNHKのあり方は公共放送ではない。それなら受信料を取るべきではない。もし、受信料取って番組を作るのなら、偏った歴史ドラマは作るべきではない。



もし、この偏った歴史ドラマを作り続けたなら徳川の作った身分差別は良きものとして残り、戦前と同じような名門意識が政治の世界や、一般社会にはびこって、民主主義正しい人権のあり方にとってはいいものとはならない。


何度もいうが、好きな人が個人的に作るのならいい。しかし、国民全員から法律作って受信料を巻き上げて、偏った過去の遺物をいかにも良いものように作るのは許されないのではないだろうか。
 
 
廣田弘毅首相は「50年早く生まれすぎた」と言ったが、50年以上経った今はどうだろうか?



廣田首相は最終弁論を前に、弁護人を通じて「高位の官職にあった期間に起こった事件に対しては」


「喜んで全責任を負うつもりである」


という言葉を伝えている。



人格としてはすごいと思う。だけど、これでは悪がはびこるだけで、このような最後は良くないと思う。 潔く、責任を背負い込んで死んでいったら、本当にひどかった責任あるものが生き残る。本当に死刑にならなければならなかったものたちが生き残る。その悪党達がどのようなことをするか目に見えている。


潔いく責任をとった人に、これ幸いと、何でもかんでも責任をなすりつけようと奔走するだろう。後世の人間は悪党が作った証拠しか目にすることができないために、それを信じるしかない。


後世の人間は間違ったことを教えられることになる。後世の人間にとったら本当に不幸なことである。


高位の官職にあった期間に起こった事件に対しては責任を取る。というのなら、その時にあった出来事は全て手書きでもいいから正しく、嘘ではなく書き残して欲しかった。とても、残念だ。



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私が名門です。!

東京が威張ると日本は大凶

 

ちょこっと憲法

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11[基本的人権]

国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

基本的人権とは「天賦人権」という「自然権」に支えられる。

自然権」とは、人間が、自然状態(政府ができる以前の状態、法律が制定される以前の状態)の段階より生まれながらに持つ権利

この第11条の規定は、各人権規定の総論的規定(内容を全体的にとらえて述べたもの)

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本文中に引用した画像と文章の出典

参考:フリー百科辞典「ウィキペディア」・廣田弘毅・最終更新
2012113 () 12:46

画像 
概要  (広田弘毅, 1878 1948)
日付 1946年より前



原典 歴代首相等写真

作者 不明 



概要 西園寺公望

日付 1906

原典 "帝國画報"

作者 東京合資會社冨山房

概要 Shigeru Yoshida (1878-1967)

日付 

原典 http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/souri/45.html

概要 近衛文麿(Konoe Humimaro,1891-1945)

日付 



原典 http://www.kantei.go.jp/foreign/cabinet/34_e.html

概要 
: 一木喜徳郎
日付 : 19336
原典 日本語: 歴史写真会「歴史写真(昭和86月号)」より。
 作者 不明

概要 Japanese Prime Minister Kōki Hirota (廣田弘毅, 18781948, in office 193637)

日付 sometime in March 1936February 1937
原典

http://www.botanical.jp/libraries/ou/200412/22-1826/
http://www.botanical.jp/libraries/ou/200412/22-1826/]



posted by 東京92 at 02:56| Comment(46) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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